七つの海を渡って

落ち込むことがあっても、前向きにエネルギッシュに生きていきたいものです。そして、それを世の中の多くの人たちに伝播していければ…そんな思いを込めて。

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地球母さん

昨年、長野県小淵沢にある「花の美術館」に行ったのですが、そのときにお会いした館長の水木鈴子さんは素晴らしい方でした。
昔、所沢に住んでいたときには、「所沢のマリア」と言われたほど、献身的に人々を救ったそうです。
その後、長野に移られ、この美術館で、詩画家としての作品を展示しています。
この空間はとても心地よく、何時間でも、何日でも居たいという気持ちにさせられます。

幸運にも多忙で滅多にそこにはいないといわれている水木さんにお会いすることができ、いろんなお話をうかがうことができました。
水木さんは、今、危機的状況にある地球を救うには、ひとりひとりが気づき、助け合い、愛情をかけあうしかない、そのためにも、この詩が一人でも多くの人に伝わってくれればと願っています。
その詩をここに紹介します。

また、水木先生の人となりを知るには、このブログ記事が参考になるかと思います。

心ある救済
http://www.y-asakawa.com/message2009-1/09-message04.htm


<水木鈴子 プロフィール>
◆詩画家: 水木鈴子(みずき・すずこ) (「水木鈴子・花の美術館」館長)花の詩画家。日本の四季に美しく咲く花々の水彩画や詩を作り、全国各地で個展、朗読会、講演会を随時開催している。1996年八ヶ岳南麓「水木鈴子・花の美術館」開館。


「地球母さん」

キラキラの緑豊かな美しい水の惑星・・地球星!その母なる大地は全生命体のすべてを我が子と信じ、限りない無限の愛をわけへだてなく与えて下さり 万象万物が無差別、無所得の愛で生かされています。

地球母さんはどの子もどの子も可愛いく いとほしく 気の遠くなるような年月を重ねて忍耐強く子育てに心を配って下さっています。

生命体をたくさん生んで育てることは地球母さんの誇りであり尊いご使命だからでございましよう。

とりわけ、花たちは気高く、初々しく、決して不平や不満を言わず 地球母さんの美の教えを忠実に守り 母さんの愛を素直に感じ、素直に表現し 地上を美化し、幸福の波動を 全宇宙に向けて放射しているのでございましょう。

 
もし、あなたが生きていくのが辛くなったり疲れた時は、地べたを素足で歩いてごらんなさいな! 

のんびりとねそべって、手足をゆっくりゆっくり のばしてごらんなさいな!あなたの心いっぱいに体一杯に、ジワジワとポカポカと地球母さんの肌のぬくもり(地熱)が伝わってきて 身も心もやさしく包んで下さる母さんの愛を感じて、もう あなたは一人ぼっちの存在ではないことに気付くことでございましょう。

「女性は肉体生命の創造とその生命を豊かな感性でもって護り育てていく大切なお役目がありますよ!」
と私たちに身をもってお教え下さっているように思えます。

私達人間は美しい自然がないと生きていけません。

何百年何千年と姿を変えなかった海や山や川や大地が 私達の世代で大きく姿を変えようとしています。 

干ばつで土地が砂漠化し木を切り倒して山を崩し、すでに世界の熱帯雨林はもう修復がきかない程 破壊されていると言われています。地球母さんの子育てにとって大切な掛け布団代わりの大気は化石燃料の廃棄ガスで汚され、
敷き布団代わりの大地は農薬で汚されております。

また、毎日のように世界のあちらこちらで紛争やテロが起き 貴い命が地上から消えております。 

その上、温暖化や洪水や干ばつによる食糧不足で たくさんの人々が飢えて亡くなっておられます。

地球母さんご自身もやんちゃな子供たちによって体がボロボロになりながらも そんな子供たちの苦しみや悲しさ辛さを肌で感じ 日夜なげき悲しみ泣いておられます。

私達 人間と言う子供たちは すべてを与え生かして下さる地球母さんに対して感謝の心と報恩行を久しく忘れてしまっております。 

私達は便利さや快適さや物質的な豊かさばかりを求め、“大地から生まれて大地に還る”と言う大自然の法則をおかしてしまい、燃えないもの、こわれないもの、くさらないものを地上にたくさん作ってしまいました。

地球母さんの他の子供たち(無数の動物・鳥・魚・植物・花・鉱物)にも多大なご迷惑をお掛けいたしております。 

たくさんの自然を破壊してしまったことを今こそ今こそ真剣に反省し、母さんに心からお詫び申し上げ 一刻も早く大調和の生き方に変えなければなりません。

無条件の愛で生かして下さる母さんに習って、お互いに助け合い 話し合い 許し合い 分かち合い 生かし合って生きていかなければ・・・・  そして 地球母さんが心から喜んで下さるような思いやりの花 いたわりの花を胸一杯咲かせて 母さんと同じようにやさしくたくましく与え続ける おおらかな生き方をしなければなりません。 

それが今までたくさんの たくさんのご無礼をしてしまいました地球母さんへの 心からのお詫びとご恩返しではないかと存じます。

大好きな地球母さんが喜んで下さる 愛と光の花を毎日の思いと行いの中で咲かせていきたいものでございます。

 ありがとうございます

地球母さま         みずき すずこ

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いのちの重さ

ここのところ、ずっと腑に落ちていなかったトピックがあった。
ある人が送ってくれたメールがその疑問を解いてくれた。

「なぜ、動物を殺してはいけないのか。」

これが、私の中にここしばらくあったテーマだった。

話が飛んでいるように聞こえるだろうが、最近、私はベジタリアンになった。
とはいえ、魚は食べなくもないし、肉料理も振舞われたら、有難く頂戴することにしているので、厳密なベジタリアンとは違うが、自分の日常の生活はベジタリアンを通すことにした。
その理由は、肉に存在するエネルギーや肉ができる過程について学べば学ぶほど、肉を欲する気持ちがなくなっていったからだ。

ルドルフ・シュタイナーはこういっている。
「人間が肉食をすると、動物のアストラル体をとおして生じたことが人体内で継続します。(中略)アストラル体は意識を持った存在のなかで、あるプロセスを生じさせるので、肉食をすることによって人間は、自分の神経組織に影響を与えるものを摂取することになるのです。
 これが、菜食と肉食の基本的なちがいです。肉食は、まったく独特な方法で人間の神経組織とアストラル体に働きかけます。菜食の場合、神経組織が外から影響を受けるということはありません」(『健康と食事』イザラ書房)

つまり、動物には意識があり、その意識を自分の体内に入れることで、自分の肉体とアストラル体にもその動物の意識が影響するというわけだ。

昔、昔、人間が狩りをしなければ、自分が生き延びることができなかった時代、そのときは肉食だったとしても、自分に必要な量だけ獲って食べていた。日本では、肉を食べる習慣が長らくなかったろうけど、それでも、食べるときは、動物が死んでいたり、たまに獲ったときに少し食べる程度だったろう。しかも、肉にありつける人は、全体のほんの一握りだったろうし、たいていの人は、菜食や魚介類で生きていたと思われる。つまり、現代社会のように大量生産の上に成り立った肉食ではなかったのである。

今の社会では、肉はブロイラーとなり、さまざまな薬漬けにあい、生まれたときから、人間に食べられるための一生をすごす。殺されるときには、痛みや苦痛の少ない屠殺方法をとられているだろうが、それでも、自分が殺される前にそれを察知して恐怖感を感じた状態で殺されている。

それだけでも、必要以上の頭数が日々、人間の満足感のために犠牲となっていると思っているのに、さらに、イルカやクジラを殺す人たちがいるということに、非常に驚いてしまう。

何故、現代のこの飽食の時代にイルカやクジラを殺して食する必要があるのだろうか。それを、文化だ伝統だというが、そんな人間の伝統や文化のために、貴重な動物のいのちを犠牲にして、良いものなのだろうか。それは人間の単なるエゴではないのか。

イルカを殺すことが仕事の人たちにとって、イルカ猟をしない=職を失う ということになるから、反対するのだろうが、だからといって、他の選択肢を考えることはできないのか、何も野生の哺乳動物を殺さなくても、魚介類をとっていたって十分じゃないのかーーー、と常々考えていたのだ。

そこで、冒頭の知人のメールで自分の中の疑問が解けた、につながる。
知人はこう説明してくれた。引用しよう。

「動植物の進化には『物質(肉体)的進化』と『霊性進化』の二面性がありますが、動物は霊性の発達が進んで行くに従って、死ぬことに対しての認識と恐怖が増します。肉体的な痛みや苦しみ、そして精神的な苦痛が、霊性の進化と共に増して行くという傾向があり、つまり、霊性の高い動物を殺すことは『残虐性』が高いということになります。
霊的に言えば、全ての動物を人間が勝手に殺すことは間違いなのですが、この時代の殆どの人間は、まだそれを知りません。どうしても殺さなければならないのであれば、できる限り『残虐性』の少ない殺し方をすることが、現時点での得策なのです。
魚だって殺されることが嫌だから、捕まえようとすれば、なんとか逃げ延びようとします。
生きたいと願うものの命を無理やり奪っているので、残虐性はあります。
が、ただ、魚は痛みを感じないと言われています。
その辺りが哺乳類などの高等動物とは少しだけ違うところです。
そういった視点でイルカ漁を考えると、それは相当大きな残虐性が見て取れます。
『イルカを殺してはいけない』という強い衝動は、まず環境破壊以前に『残虐』と感じる人間の潜在意識の働きがあるからかもしれません。
そういったことを感じる段階の人間が増えてきたのだと考えて良さそうです。
環境破壊という視点でみれば、家畜の弊害の方が圧倒的に大きいワケですから。

因みに、豚の知能指数は、人間の3歳児程度と言われています。
殺されることに対して、きっと相当の恐怖を感じることでしょう。
生まれながらにして狭い檻に閉じ込められ、自由を奪われ、薬漬けにされ、時にはストレスでノイローゼの個体も出現するようです。
これはイルカを殺すこととあまり違いはありません。
プロセスは違いますが、残虐性という視点で見るなら、違いはないということです。

つまり、人間は『美味しい』という一種の贅沢のために、動物の命を都合よく操作しているわけです。
それが環境破壊や、発展途上国の食糧難や栄養失調を引き起こしているのですが、
それは主に先進国の責任でもあります。

さて、では、なぜ植物は食べてもいいのでしょう?
植物だって生命で、立派な霊です。

実は、植物にも『意識』があるのですが、それは人間の想像するような『意識』とは違います。
恐怖や痛みというものがありません。
そいった人間的意識や感情を感じとる人もたまにいますが、それはその植物などを管理している自然霊(妖精)の発する想念と思われます。
また、人間霊や動物霊がこの世で生活するためには、物質的肉体に宿るのですから、何かしらの食べ物が必要です。
それを神様が用意していないハズがありませんし、人間の肉体構造を考えれば、植物は食べても構わないとなります。
食べ物の優先順位、それは『残虐性の少ないものから食べる』という考え方です。」

これで、しごく納得ができた。
動物を殺してはいけない理由、それは、残虐性を考えるとわかりやすかったのだ。
人間は霊的な生き物だ。十分に感性が磨かれれば、同じように霊性を持つ動物を殺すことが、どれだけ残虐なのかがわかると思う。
もちろん、植物だって粗末に扱っていいわけではない。食べさせてもらう以上、ありがたくいただく、これが原則の上の話なのだ。




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壮大なるは、神聖なる計画なり

瞑想やエクササイズというのは、少しずつでも毎日していないと調子が変わってきてしまう。
誰かが、瞑想は毎日行うべきトレーニングだと言っていた。本当にその通り、と思う。
来人があったことや、外出が続いていたことで、ここのところ、エクササイズを怠っていた。
少しくらい大丈夫、という油断のような気持ちがあったこと、認めます。
そうしたら、案の定……

今日は、仕事に専念しようと思っていたが、合間合間に気持ちの乱れを感じ、集中力が持続しない。
途中で、手を止めてエレメンタルの置き換えをやってみたり。
私の場合、手書きで書き落とすことが一番有効だ。モヤモヤした気持ち、なんだかよくわからない負の感情、なんでも、ノートに書き付けていく。すると、自然とそれに対する正しい答えが導き出されて、書き終わってからスッキリしていることもある。スッキリしていないときは、質問を書いておいて、「この疑問に対する答えをください」と付け加えておくと、わりと早い段階で、その答えとなるヒントをもらうことがある。

そんなこんなで、何気なく、インターネットでブックマークをしていたサイトを訪れてみた。
何年か前に訪れたのだが、その内容があまりに難しすぎて、よくわからないまま、ブックマークだけしていたサイトだ。

魂の部屋

このサイト、今日、あれこれと読んでいたら、以前わからなかったことが、ハッキリと明確にわかるようになっていた。それがこの回だ。

神様からの贈り物(第32話)

前回読んだときは、なんだか、地球の神様がいて本当の神様とケンカするなんてコワイ……などと思っていたのだが、今回、この意味がよーーくわかった。
そして、怖いことなんて何もない。真の真理の探究をしていきたいのなら、何も恐れることなんてなく、それを願い、エクササイズを真剣に続けていくことに尽きる。そしてそのことをいつも肝に銘じておくことが大切だということを知らされた。そうなんだな。結局、エソテリック・ティーチングは究極の学びの道だし、安全だし、マスターたちが導いてくれるんだし。コツコツと進んでいくことなんだな。

で、人間って、進化がすんごい遅れた存在なんだなぁというのも改めて実感した。
集団のエレメンタルがこんなに未熟だと、成長させようと思っても、多数の幼稚園児を相手にしているのと同じことなんじゃないだろうか。。。それでも、やりようはあるのだろうか。。。

とにかく、なんだかんだ言っても、魂の成長は続けていこう。
そうする中で、きっとわかってくることが出てくると信じて……


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富士山と大仏の夢と中島みゆき その2

中島みゆきの『銀の龍の~』の解釈を自分で書いているうちに、ハタと、「これは、怒の感情を昇華する方法にも繋がるんじゃなかろうか」と考えた。
少しヒントが見えた気がする。

今朝、夢を見た。
夢というよりは、もっと意識と潜在意識との間で、意図的に見たような感じでもあった。
色は鮮明。
いつも見る夢のようなフワフワした感じはなく、半現実のようなリアリティもあり、自分が夢の中にいることを自覚している。

マラソン大会か何かに出ていて、私は走っている。季節は今の時期、冬。冷たい風を顔に受けながら快調に走っていたら、左手にアップで富士山が見えた。雪をかぶった山頂が冬の青空に映えてとっても綺麗、なんて思っていたら、その手前に巨大な大仏が富士山の一回り小さいくらいの大きさで見えた。こんな大きな仏像なんてあったんだ~と思いながら眺めていて、「あ、これは夢なんだ。そういえば、Yさんが、夢は自分でコントロールできるって言ってたなぁ。よし、良い方向にコントロールするぞ」と思った途端、前からすごい強い風が吹いてきて、なかなか前進できなくなる。でも、それに対して、「絶対に負けないぞー、前に進むぞー」と叫びながら、緩い上り坂を頑張る。もう少しがんばったら、上り坂を上りきって、先の道が見えるぞ、と思ったところで、この夢は終わり。

自分の中で、これは、これからいろんな風に当たりながら、でも、宇宙の力に助けられながら、やり遂げていくべく頑張ってくことになるんだろう、という分析を夢うつつの状態でしていた。

起きたらIさんから新しい企画提案のお話。
なんだか良い兆候だ。
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富士山と大仏の夢と中島みゆき その1

なんだか、タイトルを見るとハチャメチャなんだけど、全部スピリチュアルに関係しています。

ちょうど一週間前に「自分でやる!」と決心してから、あれこれ考えていた。実を言うと、「どうやってやったらいいんだろう」と不安を感じることもあり、そのために、「いかんいかん」とエレメンタルをポジティブなものに置き換えるように努力してきた。

そんな折、中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』という曲が、実は、こんなにスピリチュアルな歌詞だった!ということを知った。今まで、歌詞をじっくり読んだことなんてなかったのが、先日、友人とカラオケをして初めて知ったのだった。そのときの衝撃といったら!
目から鱗が落ちるとはこのことだった!

これが歌詞です。

『銀の龍の背に乗って』
          詞曲 中島みゆき

 あの青ざめた海のかなたで
 今まさに誰かが痛んでいる
 まだ飛べない雛たちみたいに
 僕はこの非力を嘆いている

 急げ悲しみ 翼に変われ
 急げ傷跡 羅針盤になれ
 まだ飛べない雛たちみたいに
 僕はこの非力を嘆いている

 夢が迎えに来てくれるまで
 震えて待っているだけだった昨日
 明日僕は龍の足元へ
 崖を登り 呼ぶよ 「さあ、ゆこうぜ」

 銀の龍の背に乗って
 届けに行こう 命の砂漠へ
 銀の龍の背に乗って
 運んでゆこう 雨雲の渦を

 失うものさえ失ってなお
 人はまだ誰かの 指にすがる
 柔らかな皮膚しかないわけは
 人が人の痛みを聞くためだ

 急げ悲しみ 翼に変われ
 急げ傷跡 羅針盤になれ
 まだ飛べない雛たちみたいに
 僕はこの非力を嘆いている

 綿ボコリみたいな翼でも
 木の芽みたいな頼りない爪でも
 明日僕は龍の足元へ
 崖を登り 呼ぶよ 「さあ、ゆこうぜ」

 銀の龍の背に乗って
 届けに行こう 命の砂漠へ
 銀の龍の背に乗って
 運んでゆこう 雨雲の渦を

 銀の龍の背に乗って


なんというすざましい歌なんだろう。
これは、過去の経験でついた傷が癒えていなくても、傷を持ったことを糧にして前に進んで行け。
どんな困難や苦労が待ち受けていたって構わない、「さあ、ゆこうぜ」とばかり、ひらりと銀の龍の背中に乗って、急いで前進しろ。こういうメッセージなんだ。
銀の龍とは、自分の持つエネルギーを意味するんだ。
傷を負っていたって、自分が未熟だって、なんだって構わない。前だけを見て、進んでいけ、傷ついた人を助けられるのは、痛みを知っている人こそだからだ。
そういう歌なんだ。

・・・ということがわかった瞬間、心の中は感激の嵐だった。
ちなみに、彼女の情感溢れる歌はここで見れます。
http://www.youtube.com/watch?v=C7AaDq0J-EA

ある人曰く、「彼女はチャネラーだからね」
うーむ。まさしく。
こういう歌詞が書けるってことは、何かの力が降りてきているとしか思えない。

長くなったので、つづく。


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